スカイウォーカーの夜明けは"スマホ時代"に適応した傑作
□スマホ時代の物語
最近、というか結構前からの悩みです。
自分は物語が大好きなので、海外ドラマも観てみたいという想いがあります。
そこで"ブレイキング・バッド"や"ストレンジャー・シングス"等の超有名タイトルを再生してみたんですよね。
当然面白いのだろうという期待を抱えて…。
スマートフォンで、寝っ転がりながら。
結論からいうと、1話の段階でかなり厳しい。笑
物語にあんまり没入できないんですよ。
映画であったら味わい深くなるであろう、"静の演出"がテンポが悪く感じて…。
後者はなんとか4話ぐらいまで見たんですけど、何話かの冒頭の、子供が失踪したお母さんのキャラクターと警察官の中年男性のキャラクターが話をしている場面。これってそこまで情報量が多い、物語を進展させる場面ではないのに、かなり長く感じて、途中で投げ出してしまいした。
これって物語に欠陥があるわけではなく、自分の集中力、スマートフォンという媒体、家という環境の問題だと思います。
こういった話をほぼ聞かないので、自分だけなのでしょうか?笑
思えば、連続テレビシリーズという媒体で最後に夢中になって全話イッキ見したのは、リアルタイムではないですが、コードギアス(一期)でしたね。
あれは展開が速かったしキャラクターも魅力的で面白かった。
ギアスが大変面白かったので同時期に、あの時代でスタッフが共通しているアニメを観てみました。
ギアス二期も含めて、数話でやめてしまいした。
これも物語が悪いわけではないんですよね。
スマホと家という条件が重なると、よっぽど展開が早い物語ではないと、テンポが悪く感じて、関心がそれて、観続ける気が失せてしまう。
"悪の教典"という過去にブームになった小説がありましたね。
共感能力の欠落した猟奇殺人者の高校教師が主人公の物語です。
著者の貴志祐介先生は、実際に現代の高校に取材に行かれて、「現代の子供たちは多い情報量をテンポ早く与えられることに慣れているので、従来の授業では退屈に感じてしまう」ということを実感されたそうです。
また、数年前空前の大ヒットを巻き起こした"君の名は。"の監督、新海誠さんは、「スマホ時代の子供たちに向けて設計した」ということをインタビューで述べていました。
どのように観客の感情の起伏を操るか、そういったレベルから計算しているのを物語の構造を分解した図に表していたのが印象的でした。
自分はバトルロワイヤルというより、悪の教典のブームに近い世代なのですが、読書が趣味というわけではない、むしろ嫌ってそうな(超偏見)野球少年二名が、あの小説に熱中し、何回も読み直しているのをこの目で見ました。
貴志先生が当代随一の優れたストーリーテラーなのもあるでしょうが、その取材の成果を登場人物のリアリティのみならず、話自体の語り口に活かしたのかもしれませんね。
やはり、大衆向けの娯楽作品において、"スマホ時代の物語"という戦略的変化が求められている現状はあると思います。
現実的に、そういった物語がダイレクトにヒットしている。
さて、スターウォーズの話です。
"スカイウォーカーの夜明け"もまさにそういう"側面"があった映画でした。
(余談ですがJJエイブラムス監督は君の名は。を見たそうです)
冒頭から"死者の口が開いた!"と驚愕の新情報を提示。三回連続ハイパージャンプがまさにこの映画のテーマの一つを視覚的に説明しているかのように、その息もつかせぬスピードとテンションを維持したまま物語は進行する。
全体的に「ピンチになった!いや解決法があった!」という展開の繰り返しで、独特のドライブ感があるんですよね。
普通の映画ならせいぜい三回ぐらいであろう大きな話の転換点が何回もあるイメージ。
テンポの早さのおかげで、飽きるタイミングがない。
いつ見ても何かしらのイベントに登場人物が翻弄されている。
いつ見てもフィンはレイを求めて叫んでいる(大袈裟)。
これぞまさに"スマホ時代の物語"である。
美化せずに言えば…。
̶忖̶度̶抜̶き̶で̶率̶直̶に̶言̶え̶ば̶
いや、あえて物事に闇の側面を見出すとすれば…
ソードマスターヤマトだわな。
ソードマスターヤマト スターウォーズ編だわな。
はい、悪く言わないでください。
自分はこの映画を愛しているのです(涙)
レイさんとポーが喧嘩する場面とかすごく好きなんですよねー。
□作風の本質
さて、個人的にここで取り上げたいのは、"この"作風がいかにして出来上がったのか?ということです。
よくネットで目にするのが、"最後のジェダイが話を進めなかったからテンポが異様に速くなった"という論調です。
前作の"最後のジェダイ"においては作中の経過時間が短く、大局的な変化が起きなかった、EP7からのバトンを無視し、それを埋め合わせなければならなくなったので、急ピッチで話を進めることになったと。
果たして本当にそうなのでしょうか?
先ほども書きましたが、今回の1番の特徴、物語の中で時間を使うものは、小気味良い「ピンチになった!解決法があった!」の繰り返しです。
繰り返しって詩のようですよね、、、素敵ですよね、、、。
しかし、それってEP9内で閉じている要素だと思うのです。
サーガとして見たとき、全体のストーリーにとって必要な物を急ピッチで投下して説明しているかというとそうではない。
作品内で興味を惹くための要素、全体のストーリーを完結させるという役割(JJエイブラムス監督はEP9はシークエルの完結編というだけではなく9本の映画の完結編であると言っていた)にとっては関係ない物を早いスピードで投下し続けている、と言えるのではないでしょうか。
だから、個人的にはこういう作風になったのは、EP8の影響という消極的な理由ではなく、積極的なクリエイティブ面での判断なのではないかと思います。
もっと落ち着いたトーンにすることも可能であったが、野心を持ち挑戦する。
そんな気概がこの現代的な意匠が全面的に漂う素晴らしい映画を生み出したのではないでしょうか。
JJの敏腕映像作家、エンタメ仕掛け人としての慧眼、センスにはとても感心させられましたね。
良い体験をさせてもらいました。